日置印西派の修練道場として、明治のころには神弓所と称し、多くの門人を輩出した。このころの師範河合弓三郎治明は、明治四十三年、三河吉田藩士で日置流印西派の奥村久忠から一流不残嫡伝十六代を継承し、四十五年明治天皇ご病気平癒祈願の鳴弦奉仕、大正九年十一月明治神宮鎮座祭の折には代々木原頭に鳴弦を奉納し名声をひろげた。
次代、河合久三郎久昭も日置流印西派嫡伝十七代を継承し、各所で鳴弦奉仕を行っている。
現在は、現宮司河合治郎に引き継がれており、河合宅には日置流印西を基本に弓術諸派の貴重な資料が残されている。
河合家には日置弾正正次の銅像も残されており、遠州御嶽神社内に保管されている。
天宮神社道場は、昭和53年に修復、平成23年に改装され現在に至る。
現在は、節分祭、例大祭で日置流印西派の流儀により射会を開いている。
令和2年度からは、毎週日曜日に日置流印西派の流儀で練習を行っている。
(13時から2時間程度)
*現在の弓道連盟の所作とは異なるため所作体配が連盟重視の方はご理解をお願いします。