【歴史】
慶雲2年(705年)に勅願による社殿の造営があった際に京都から神官として藤原綾足が赴任した折、京人によって奉納舞楽が行われた。応仁・文明の乱、地方の戦火の時代には神社の祭祀も途絶えたが、
天正18年(1583年)に再開され明治維新の変換の時代にも耐え、連綿と伝承保存されている。
【形態】
中央の雅楽様式は中世以前の書物からはみると長期間に変化があったと考えられるが、この舞楽は祭りの庭の芸能的な素朴な特色を有し他所では見られぬ形態である。
一宮の小國神社の舞楽を左舞、天宮を右舞とし、両方ともに同じ曲を十二曲演じている。
一番:延舞 稚児の二人舞。天地・八方・舞台を祓い清め舞楽の
開始を告げる。
二番:色香 大人二人舞。古くは菩薩という。日輪・月輪を背負
い結いと冠をつけた菩薩面をかけ左右に対峙
三番:庭胡蝶 稚児四人舞。 極楽浄土に舞う蝶を表す。
四番:鳥名 稚児二人舞 蝶と共に極楽鳥が舞う姿を現す。
五番:太平楽 太刀四人舞 天下泰平・五穀豊穣・平和である
ことを祈り、鉾・太刀で舞鎮める
「太刀の一人舞」がある
六番:新靺鞨 稚児四人舞。中国東北部の部族が靺鞨。
四人の童舞。
七番:安摩 大人一人舞。蔵面という紙で作った面をかぶり
海人族の精霊舞。
八番:二の舞 安摩と番舞。じいさ・ばあさと親しまれている。
人の真似をしようとするが上手くいかないことを
二の舞を踏む、という諺はこの舞が起源。
九番:陵王 本来は蘭陵王と呼ぶ。龍は雨を呼ぶ。天宮は
降雨ほと良いことを祈る宮で太田川の水利水運信仰
は天宮信仰そのもの。
十番:抜頭 稚児の一人舞。稚児合戦(ザットラボー)が行われる。
十一番:納曽利 陵王と番舞。「笛の狂いは舞人を苦しめ、舞の
躓きは笛方を困らせる」と言われるほど難しい。
十二番:獅子 悪霊調伏と五穀豊穣を祈る。