乙女の舞・浦安の舞は前夕祭、大祭、神幸祭(この際は御旅所にて)、終祭時に奉納舞を
行う。
乙女の舞は、町指定文化財
御旅所での奉納舞
天社轂
応仁・文明の乱以降、村の氏神を警備し一般住民防備のために結団された組織で、家康公により社殿再建後は、天正18年に6か条の定目が作られた。
明治になり天社轂と命名され
現在も祭りの準備から片づけまでを仕切っている氏子の若者の集団である。
舞子返しは、奉納舞を行った子供たちを親元に還す式。
以前は自宅まで送り届けたが昨今は公民館、または拝観所で待っている親御さんまで送り届けるようになっている。